欲望は肥大する。大は国と国の戦争から小は夫婦喧嘩まで諍いはあちこちに転がっている。ただ、マンションでは、住民間の衝突が過熱すればするほど「勝者のいない闘い」にのめりこむ。コップの中の嵐がコップを破壊する。理由は簡単だ。マンションは「大勢がひとつ屋根の下で暮らす」共同体だからだ。いや、おれは関係ない、勝手にやる、というなら、そこを切り離して空中に浮かべられるだろうか。無理だ。対立が激化したマンションの多くが、時の波間に漂い、方向を見失う。
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そのプロセスで、得をするのはいったい誰なのか。冷静に考えてみてほしい。意見の違いや、わだかまりが生じたら、とにかく住民どうし、腹を割って、とことん話し合うしかない。コミュニケーションが、問題解決の唯一の手段なのだ。最終的に多数決で決めるにしても少数を排除しないプロセスが重要になってくる。感情的にぶつかりあう前に、もう一度、話し合えないのか……。きっと話し合いの出発点が違っているのだ。法律を楯に利益を得る側と、法体系より幅広い「生活」を重要する側では出発点が違う。せめて話し合いのスタート地点を、誰にとっても大切な「わが家」への思いに置けないだろうか。どんな分野の専門家でも、家族がいれば夫や妻、父や心の顔を持つ。「わが家」を立場を超えたコミュニケーションの土台にできないものだろうか。Sさんは、団地の建て替え紛争で四〇年ちかく住み慣れた「わが家」を追われるときに、しみじみと言った。「ここには亡くなった夫とわたしの青春、子どもが成長した思い出、四季折々、住民たちで楽しんだ行程……人生のすべてがありました。まだ住める家を壊していいの?お金儲けで、コミュニティーを切り刻んでいいの?」住み慣れた「わが家」は、三つの方向から生きることを支えてくれる。生きてきた歴史が刻まれた時間的存在としての支え、家族の団欒や交友を介した関係的存在としての支え、さらに自分が自分らしくふるまえる自律的存在としての支え、である。